正調の成立
太平洋戦争後の戦禍から立ち直ろうとしていた高知県を南海地震が襲いました。
1946年(昭和21年)12月21日のことです。戦後、時代が混乱を極めるさなかに甚大な被害が及んだのは言うまでもない事実です。人も街も大きく傷つきました。
そして、1948年(昭和25年)に高知市は市制60年を記念して「南国高知大博覧会」を開催します。
当時戦後復興の一環として全国各地で博覧会が開催され、ちょっとした「博覧会ブーム」が起こっていたことも理由のひとつとして挙げられるようです。
その「南国高知大博覧会」において県内各地に伝わる民族芸能が披露されましたが、従来の伝統芸能とは異なる踊りを人々は目にすることになります。それが「新しいよさこい踊り」です。
元々「よさこい踊り」はお座敷踊りとして広く知られていましたが、博覧会で披露されたものはこれまで多くの人が見たこともない、新しい振付でした。
新しい時代の、誰でも楽しめる踊りにできないか、と高知商工会議所のメンバーが花柳・若柳・藤間・坂東・山村の日舞五流派のお師匠さんに話を持ちかけ、共同で振付を行ったのです。
それまでは各流派ごとに異なる振付であったものが、一つの型に統一されるきっかけとなりました。
その後、1954年(昭和29年)8月に第1回よさこい祭りが開催されることが決定し、依頼を受けて5日間という短期間で武政栄策氏によって作られた曲が、今でも「正調」として知られている「正調よさこい鳴子踊り」です。
よさこい祭りに欠かせない鳴子は、武政氏が阿波踊りに対抗する形で何か道具を手に持つことを考えていたところ、ちょうど雀を追い払うために田畑につるされていた道具を見てヒントを得たことから開発されました。
そして、振付は再度高知商工会議所のメンバーが南国博の際にお願いしていた踊りの師匠の先生方にお願いしたところ、「まっこと、やちもない(とんでもない)話やねえ」と言いつつ快く引き受けたことで完成。「正調」の成立と踊りと歌の講習会を経て、祭り本番の当日を迎えます。
その後のよさこい祭りの隆盛は、皆さんもご存知の通りでしょう。
参考文献:高知商工会議所編/よさこい祭り40年史
正調はいくつかある?
お座敷芸として披露されていた「よさこい踊り」は各流派ごとに異なっていたことは前に記しました。 しかしながら、現在「基本」として踊られている「正調」は1つではありません。
正調よさこい鳴子踊り振り付け
https://vimeo.com/212215409?embedded=true&source=vimeo_logo&owner=65131265
正調よさこい鳴子踊り
https://www.youtube.com/watch?v=V8dUfbzVrPg
正調よさこい 高知銀行
https://www.youtube.com/watch?v=FKvEdIuihPI
正調一筋56年 高知市役所よさこい踊り子隊
https://www.youtube.com/watch?v=KPOveIzGcE8
型はだいたい同じですが、比べてみると一口に「正調」といっても細かな違いが見られます。
その理由としてもともと振付をしたのは一人ではなく、五流派の先生方だったことが大きく関わっていると考えられます。
そして、よさこい祭りのルールが「鳴子を持つ」「前進する」「よさこい節のメロディーを入れる」という3点だったことで、あとはチームの裁量に任されていた自由な部分があったことから、ひとくちに「正調」と言っても様々な踊りが作られ、踊られるようになったと推測できます。
その後の「よさこい」に様々なバリエーションのアレンジが加えられていった原点がここにあるかもしれません。
「正調」はひとつではありませんが、だからこそ面白い、奥が深い、と私自身は考えています。
まとめ
今回は、よさこいの「正調」についてお伝えしました。
高知県民の多くは「正調」よさこいを大事に思っています。
そして、正調が流れたら多少振りが違っていても一応踊れる人が多いような気がします。
しかしながら、正調とはどんな振付かについて型にこだわることも大事ですが、振りが何パターンも存在している以上、どれが正統派、どれを覚えておかなくてはならない、ということは決めづらいように思います。
では何ができるのかというと「まず手と足を動かし、鳴子を鳴らして踊ることを心から楽しむ」ことではないでしょうか。
