よさこい節について

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よさこいの語源には様々な説があります。

高知大学教育学部の高橋美樹教授の論文によれば、よさこい節の成立と発展は大きく分けて「近世期」「江戸時代末期」「明治初期」「明治中期」「明治後期」「昭和初期」に分けられると考えられているようです。

参考文献

高知よさこい祭り前史にみるシンボル・イメージの創造-<よさこい節>の歴史的展開を通して-https://kochi.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=7562&file_id=17&file_no=1

もくじ

近世期

  • 古語である「夜さり来い」(今晩おいでください、来てください)から転じたとされる説。 https://www.yamaku.net/yosakoi.htm
  • 山内一豊が入国し、高知城が築城される際に木遣歌として歌われていたものに由来するという説 https://nichimin.or.jp/commentary/よさこい節/
  • 江戸中期の正徳(しょうとく)年間(1711~16)から諸国ではやった『江島節』が土佐に伝わり、『よさこい節』に変化したという説。

以上3つがよさこい節の起源として挙げられる、と書かれていますが、はっきりと記録が残っていないため、よさこい節の発祥として考えにくいとも述べられています。

江戸時代末期

  • 1855年(安政2年)に起こった、純信とお馬の物語がよさこい節に合わせて歌われたことから大流行し、広まったとされるもの。料亭やお座敷にてメロディーが様々な歌詞をつけて替え歌として歌われたこともきっかけとなった

また、歌詞は当初

「おかしなことよな はりまや橋で 坊さんかんざし買いよった」

と歌われていたようですが、

「土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た」

と変化を遂げたのは、幕末から維新の時代、全国各地に「脱藩」した土佐の武士や商人たちによるものとされているようです。

高知県外で歌われる際、どの藩(県)の、どの場所で起きた出来事であるかを明確に伝えるために歌が変化したと考えられたことに加えて、流行歌をまとめた本が発行され、広く流通していたことで「よさこい節」が全国に広がるきっかけにもつながったようです。

明治初期

維新の世の中が落ち着きを見せた頃、幕末に流行していた地方民謡が再度息を吹き返し、世に広まったことで大衆の間で流行し始めたようです。「よさこい節」もその一つであったと考えられています。

明治中期

その頃、高知では自由民権運動が始まっていました。運動の際に歌われてたのが「よしや節」と呼ばれるものです。よしや節のメロディーがよさこい節であった可能性があると考えられているようです。

よしや節を取り入れた曲を作っているチームもありますね!

明治後期

日露戦争の勃発時、「よさこい節」のメロディーに合わせて「ロシャコイ節」なる替え歌が歌われていたとされるものです。「ロシャコイ節」については楽譜が採譜されており、「よさこい節」の曲調とほぼ同じものです。

替歌研究という本も詳しいです!

昭和初期

大正から昭和にかけて交通網が整備され、高知も1935年(昭和10年)に土讃線の高知-高松間が開通したことや、路面電車の整備が進められていたことで観光振興がとられるようになりました。

よさこい節は「新よさこい節」として発展し、歌詞に高知の名所や名物を織り込むことで宣伝を兼ねていたようです。

また、料亭の芸妓によってよさこい節が歌われ演奏されることに加えて踊られるようにもなり、高知県観光の宣伝のために高知県外へ出向き、披露していた記録が残されています。

加えて、世の中に広まっていたレコードに「よさこい節」が吹き込まれて高知県内のみならず日本全国に広まったことも「よさこい節」は高知の印象を強めたとも考えられるでしょう。

また、高橋教授が挙げている説以外でも、

も挙げられます。

おわりに

「近世」から「江戸期」「明治初期」から「明治中期」にかけてのよさこい節の成立や発展については裏付けとなる資料が残されていないため、明確な由来として挙げるには根拠が乏しく感じられます。

しかしながら、高知に伝わる他の民謡ではなく「よさこい節」が現在も尚、多くの人に愛されているのは先の時代から「よさこい節」が替え歌として歌われるほど大衆に浸透し、受け入れられていたからに他なりません。

明治、大正、昭和を経て太平洋戦争を挟み、戦後復興していく中で「よさこい節」が「新しい市民の祭り」の象徴として選ばれたことは自然な流れであったと考えられます。

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